« 『丸山泰雄チェロ・ライヴ!』寄稿プログラムノート | トップページ | 2017年頭ブログ »

2016年12月25日 (日)

今年最後の夢分析(個人史的な)

夢をみた。
55年前に亡くなった祖母が実は生きていてひょっこり和歌山の家に帰ってきて、再会しても私に気づかず無駄話をしているので憤慨したところで目が覚めた。
さて、この夢の意味するところは?

これは現実とどこで繋がるのだろう。「祖母」か「和歌山」か、「無駄話」か「憤慨」か。どうも後者だ、すると引っ張り出された記憶は前者でそのまた前者だろう。その理由は後で記す。「祖母」は夢の中では亡くなった時より少し若く、青いブラウスを着ていた。(そこだけ色のある夢だった)。

しばらく「祖母」について思いを巡らせていると、ある事を思い出した。
つい数日前に和歌山に行ったが、祖母のある形見を大阪に持ち帰っていた。それは祖母が作ってくれた“晶”という私の名一文字の印鑑だった。

55年前、祖母が急逝する日にそれは作られた。その日私は家でピアノのお稽古をしていて、祖母にひどく叱られた(初めて叩かれた)。私は大声で泣いて、母は「そんなに叱らなくても」と祖母に言い、祖母は「そうやったな…」と言って(たぶん後悔して)、私の手を引いて近くの印鑑店に行き、形見となるその印鑑を作ってくれたのだ。
その日の深夜、祖母は急逝した。翌朝に私は祖母の死を知った。

私はこの日のことを、55年経った今も鮮明に覚えている。まだ舗装されていない家の前の土みちを祖母と手をつないで印鑑店まで歩いていったこと、翌朝母が泣きながら祖母の死を布団の中にいた私に告げに来たこと(母は「さやちゃん、びっくりしたらあかんよ…」と言った」)。不思議なことに母に告げられる前に私は祖母の死を感じていたが、それを聞いてやっぱりと思い、外界から隠れるように布団を頭からかぶった。

さて、話は昨夜の夢に戻る。夢の主たる意味が「祖母」だと判断したのは、形見の印鑑ケースが青色だったからだ。夢に現れた「祖母」は、前述した通り「青いブラウスを着ていた」。
夢に現れた「祖母」の主たる意味は、私が厳しく「叱られた」ことと、祖母が「後悔した」ことだ。なぜあの日の記憶を、夢を介して改めて思い出したのか。
それは、先日あった生徒のある発表へのプロセスにおいて、私が祖母に似た立場を演じたからだと思う。(もちろんやや「厳しく」という意味で、それ以上ではない。またこれ以外にこの夢との関係はない。)
つまり、最近のある問題に関する私の逡巡に対して、ある答えが夢によってもたらされたという気がするのだ。
私自身はいま祖母の最後の「厳しさ」に感謝している。その後音楽で一生生きてきたのだからまあ当然だ。
夢のなかの「再会」は、「厳しさ」が半世紀を経て繰り返されたことの象徴とも解釈できる。そして、同じく夢の「無駄話」や「憤慨」はまた別の、近い現実の反映であろう。

夢というもの、それが人の精神生活の一部であると、ここまで感じたのは初めてだ。
さらに驚くのは、この夢がイブの夜の夢であったこと。このことに霊的な意味を感じても、それは思い込みとも言い切れないのじゃないか。あるいは思い込みでもいいじゃないか。私はそう思う。(ちなみに祖母はクリスチャンで児童文学作家だった。“晶”という名はこの祖母がつけてくれた。)

|

« 『丸山泰雄チェロ・ライヴ!』寄稿プログラムノート | トップページ | 2017年頭ブログ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/215902/64675217

この記事へのトラックバック一覧です: 今年最後の夢分析(個人史的な):

« 『丸山泰雄チェロ・ライヴ!』寄稿プログラムノート | トップページ | 2017年頭ブログ »