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2015年10月の記事

2015年10月20日 (火)

ミルシュタイン氏のベートーヴェン at KCホール

昨日は職場の音楽館ホールで、セルゲイ・ミルシュタイン氏によるベートーヴェン30番ピアノソナタを聴きました。
完全に共感できる演奏だった。あまりないことです。氏が曲をどう感じてどう響かせようとしているか、手に取るようにわかる。肌に伝わる。
氏は人間的にはシャイで、音楽的には激情家です。そこのところも私は共感します。

あんないい演奏が、うちの大学授業&公開レッスンの中で聴ける。(あまり宣伝しないから、聴いてたのはほとんど学生だけですよ!)。この世の機微を、ほのかに感じた次第です。

因みにもうひとつ。
このベートーヴェンソナタは、先のブログに書いたように矢代秋雄氏が理想とし、自身のピアノソナタのモデルとした曲でした。
本家本元は、自然で瑞々しく、ときに陰影深く、(二百年前の書法だが)ちっとも古さを感じない、一言で言うとすばらしい曲でした。

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2015年10月 9日 (金)

息の長い話

矢代秋雄氏のピアノソナタを聴きました。

氏は、私が大学生の頃“花形教授”的存在でした。若い頃に聴いたり弾いた音は記憶の奥底にしまわれています。
作曲者のノートには、ベートーヴェンの30番ソナタが氏の理想でありそれを範とした、と述べておられた記憶があります。 隙のない緻密な構造の作曲であり、それが私たち学生にとっての規範ともされた時代でした。

いま振り返れば、いかにも日本人らしい文化意識である。かつて中国文化を受容したのと同じ精神構造でしょうか。一方私の師たちはそれとは違う文化創造の筋を信じ、それぞれ曲を書いたのだと思います。

難しいものです。他国文化に範をとり外形を整えようとすると、中身が空疎になるおそれがある。自国の新たな文化を興そうとすると、どこか際物じみた気配になるおそれがある。

圧倒的な中身があり、それを支えるゆるがぬ外形を持つ作品。それが人類の宝、傑作になるのでしょうが、言うは易く行うは難し。
先人の方々には甚だ僭越な物言いですが、文化の熟成には時間がかかるし、我々はいまだ途上にいるような気がします。

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