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2015年9月の記事

2015年9月19日 (土)

「絶望は愚か者の結論である。」

私は感情を浪費しない事にしました。思いを持続するために。

この数年に日本で起きた事は、周到な計画のもと進められている気がする。「注意深く隠された悪」に気づかなかったわれわれは、戦略において負けたのだ。
これからは言葉のウラを読み、彼らの欲望を感じ、事態を凝視していく。

戦後文学、音楽、映画、戯曲など芸術分野で先輩たちが作品を通して伝えようとした反戦、平和への思いを引き継いでいく。自分には音楽しかないので。

二十代半ばに知った沖縄の歴史を、私はこれまで忘れなかった。
福島で起きた事も忘れていない。
今日、日本で起きた事も忘れない。

上ずった声をあげてはならない。彼らはそんな声を出さないのだ。

過去はふりかえらない。変わらないといけない時期だったのだ。

さまざまな意見のなかで、若者たちの言葉が心を打った。彼らは「日本を諦めるわけにはいかない」と言っていた。だから私も絶望しないことにしました。

「絶望は愚か者の結論である。」(ディズレーリ)

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2015年9月 4日 (金)

東混『嫁ぐ娘に』を聴いた

東京混声合唱団による三善晃『嫁ぐ娘に』を、いずみホールで聴かせていただいた。

二十代の頃、東混さんのレコードを何度聴いただろう、楽譜をどれだけピアノで弾いたことか。あの頃の三善氏の音楽に、自分は間違いなく培われたのだった。

レコジャケで繰り返し読んだ作品ノートが再掲されたプログラムを読んで、驚く。これは祝婚そして反戦の歌だったのだ。二十代は解らなかった(難解な)作品ノートの文意がいまは分かる気がする。

『遠い帆』に至る厳しい音、予定調和にはならない三善氏の全ての作品の音。氏の音楽人生の背後には、常に戦争体験があったのだろうと思う。(新説でもない、片山杜秀氏が既に述べておられる。)

三善氏に限らない、松村禎三先生には結核療養体験があったと思う。伊福部昭氏にはアイヌか。ベートーヴェンは聴覚障害。みんな何かをうちに秘めて、それにふさわしい音を書く、書こうとする。身すぎ世すぎをしながら。

それでよい。そうするしかない。世に受け入れられる事が目的ではないのが、コマーシャルな音楽でないよいところ。

したい事をする。究極の自己充足。音楽そのものではない部分だが、それでよい気がいまはする。

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