2019年2月23日 (土)

《弦歌三章》 at カーネギーホール もう来週

《弦歌三章》はポーランドで世界初演後日本各地でしばしば再演、また玉木さんによってハワイでも上演されています。昨年文化勲章を受章された一柳慧氏の新作初演とご一緒させていただけるとは、誠に光栄な事です。

『デュオ夢乃10周年記念リサイタル』

日時:201932日(土)午後2時

会場:カーネギーホール ワイルリサイタルホール

出演:玉木光(チェロ)、木村伶香能(琴、三味線)

演奏曲目:石黒晶《弦歌三章》、一柳慧委嘱新作(世界初演)ほか

カーネギーホールのサイト:https://www.carnegiehall.org/calendar/2019/03/02/duo-yumeno-0200pm

デュオ夢乃さんのサイト:http://duoyumeno.com/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月28日 (月)

2019.1.15 神戸女学院 チャペルアワー 奨励

おはようございます。音楽学部の石黒です。

「神は愛なり」は、亡き母が好きな聖句でした。
ヨハネの第一の手紙、第4章12節を、1954年の日本聖書協会編『新約聖書』で繰り返させていただきます。
「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」
私は神が現れないので、ずっと神を受け入れられませんでした。しかし今回聖書を読み直したら、この聖句にリアリティが感じられるようになってきました。
私は前職で幼稚園経営に携わりました。その学園は聖公会の伝道師であった祖母の、偶々出会った小児麻痺のお子さんへの話しかけから始まったものでした。この尊い仕事を、門外漢の私は一生懸命やりました。
しかし私は私学というものが、実際どんな気配ではじまるのか、創始されるのか、ずっと分かりませんでした。その場の空気感のようなものです。「学校」がはじまるとき、そこにはどんな雰囲気がただよっていたのか、それが知りたかった。そのうち海外研修に出かける機会があり、旧東ベルリンの“壁の学校”と呼ばれた、壁が崩壊してできたばかりのシュタイナー教育の学校を訪れたことがありました。みずからペンキを塗って作った教室で、若い教員が熱く、誇り高く、教育を語っていました。シュタイナー神智学の是非は置いておいて、その場で私が感じた“空気”についてお話ししたいのです。それは、
―まだ何も書かれていない、真っ白な未来。理想と不安―。
「私学の誕生」、と言いたいような雰囲気でした。得難い体験であり、私は祖母がかつて感じたであろう“空気”を、理解できた気がしました。
その後私は神戸女学院に専任として奉職したのですが、ここには祖母の学園にどこか似た気配がありました。リトリートなどで本学院の創立のお話を伺い、その精神に通じるものがあると、シンパシーを感じていました。私はここで毎週授業やレッスンをすることにやり甲斐を感じていました。目の前の学生と、音楽を通してある瞬間、共有できる何かがあった。それは音楽そのものの感動とは少し違う、何かです。
また木曜の夕礼拝に参加してみて、同じキャンパスに「教育」と「宗教」の別なる“時”が流れていることに気づいたりもしました。このソールチャペルは、人を内省の“時”に導く空間です。ここでそれに気づくと、やや外に開かれた講堂礼拝でも、また教授会祈祷の際にも「アーメン」唱和を小さな声でできるようになりました。
そうして二十四年が過ぎてきました。
昨年末ごろから、なにやら胸のあたりが温かくなってきました。ほっとしてきたのかもしれません。最近の作曲レッスンにおいて、私なりに深く納得するものがあったことも大きかったです。胸のあたりが温かい。このあたたかさはなんだろう。そのとき、先ほどの聖句に感じるものがありました。
「わたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされる。」
さらに、ヨハネ第一の4章別の箇所も読ませていただきます。
1節 「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。」
7節 「…愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。」
8節 「…神は愛である。」
神戸女学院では、教育についてさらに知り、私なりに社会と関わり、神様を感じる“場”と、“時”とを与えていただいた。そう思って感謝しています。
そしてまだやり残していること。
夜になると夢を見ます。母の夢、作曲の夢などは目が覚めてからも気にかかります。バロックの作曲家マラン・マレを描いた映画『めぐり逢う朝』では「音楽とは何か?」との問いかけに、「死者への贈り物」と主人公に語らせるシーンがあります。私のこれまでの作曲のいくつか、沖縄、ネィティヴアメリカン、アイヌ、オペラ《みすゞ》、それらはおそらくそういうものであり、私には未来より過去、生者より死者に眼差しが向くところがあるようです。
まだ果たしていない、自分の作曲をなしたいと願う、この頃です。

これで本日の奨励を終わります。長いあいだお世話になり、ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月12日 (火)

音楽を志す人のために

だいぶ前、昨夏のことでしたが、音楽之友社さんから原稿執筆依頼をいただきました。同社が毎年出版されている『音楽大学・学校案内2017年版』の「巻頭言」でした。
光栄なことでしたので、常々考えていることを思いきって書かせていただきました。
同書は昨年10月に発刊され、この拙文も関西の音楽教室の一部の方々が熱心に読んでくださったと伝え聞きました。音楽之友社の担当の方からもお心のこもった労いのお言葉をいただき、うれしかったです。
『同2018年版』がそろそろ発刊される頃かと思いますが、『'17年版』が市場に出回っているうちにご覧いただけたらと思い、ブログでも公開させていただきます。
3000字余りの原稿で、以下は初稿完全版です(出版時は少しだけカットされています)。


音楽大学を志す人のために
 

2016年のいま、「音楽を学ぶ」ということについて語るのは易しくありません。
日本の音楽大学・音楽学部のほとんどは、西洋クラシック音楽に基づくカリキュラムを中心に据えて教育を行っています。その始まりは明治時代にさかのぼります。当時の日本人はあらゆる分野で西欧文化を吸収しようと努力しました。音楽でも同様でした。作曲では滝廉太郎や山田耕筰等が登場しました。そしてそれから約70年経った先の終戦後に、日本の音楽教育は転機を迎えました。ドイツ中心であった音楽の受容は、フランス・イタリアをはじめさまざまな国への留学が盛んになって多彩になり、また非西洋の民族音楽研究についても広く認知されたりしました。我が国の伝統音楽の再評価もありました。同時に先人たちが教育に工夫を加えた結果、日本人音楽家の海外での活躍は珍しくなくなりました。作曲では伊福部昭、武満徹等が登場しました。そうして日本の音楽界は多くの才能を育てながら二十一世紀を迎え、現在に至っています。
若いみなさんに向かって歴史について記したのは、終戦から約70年経ち、再び日本の音楽教育も転機を迎えるのではないかと思うからです。いま「音楽を学ぶ」ことについて語るのが易しくないと思うのは、そういう理由からです。
 
最初に書いたように、日本の音楽大学における教育では西洋クラシック音楽が主です。しかし若いみなさんにとっての音楽とは、必ずしもクラシック音楽だけではないかもしれない。ふだんCDやインターネットで聴いたりするのは、別ジャンルの音楽かもしれません。
それでも私たち日本人にとっての音楽には、明治以降の西洋音楽受容の歴史が脈々と息づいています。大学ではクラシックを芯として、ポピュラー音楽、コンピュータ・ミュージック、アウトリーチ、音楽療法、舞踊その他さまざまなカリキュラムが用意されています。音楽が好きで、音楽大学・音楽学部に進学しようと考えるみなさんに向けて、大学側は工夫を凝らしています。時代の変化に対応する、外形的なキャッチアップは進んでいると言ってよいでしょう。
上に記した「転機」とはおそらくそれら全てに関係し、日本の音楽教育が向かうと思われる方向性についてです。

明治時代に西欧文化全般を取り入れようとした先人たちの真の願いは、いつか我が国固有の、かつ世界に通じる文化を創造するというものでしょう。その切なる願いは、明治からの70年および戦後70年で一定の成就をみたと思います。そして次の70年は、日本の音楽教育の更なる“深化”の時代ではないかと私は考えます。“深化”あるいは“熟成”と言っておきましょう。
これは、音楽各分野における個別的課題とは少し異なります。若い方々は意識しづらいかもしれません。しかし文化芸術の問題として重要です。とりあえず作曲や演奏分野の専門的な音楽の学びをイメージしながら、私が重要と思っている点について少し具体的に挙げてみます。
・音楽することの深い充足感と喜び
・個の表現が共同体の表現でもあるという感覚
・過去の芸術家たちの仕事に自分も連なって在ることの意識
これは、イギリスの詩人T・S・エリオットの論考(『伝統と個人の才能』)にも近いものですが、私なりにさらに記します。
音楽学習がある技術レヴェルに達したとき、学習者はそれが何のためにあってそれを用いて何をするのかという問題に直面する場合があります。しかし、表現の技術はほんらい音楽の実体と切り離せない関係にあるはず。音楽を志したときから、音楽で何を表現するのかと自らに問い続ける事が肝要です。技術と実体とが合致しはじめると、音楽することの深い充足感が生まれてきます。この喜びの感覚は、音楽を一生続ける原動力になるはずです。
また、ここで湧き上がってくる音楽は、人のそれとはどこかが違う。同じ楽曲を演奏していてもどこか違う、それが個性というものです。個性とは、滲み出てくるものなのです。
そんなあなたの音楽を聴いて共感してくれる人が、現れてくるかもしれない。あなたもまた誰かの音楽に共感したりする。そうやってあなたの、あるいは誰かの音楽が、“私たち”の音楽になることもあるかもしれません。―私の言いたかったことがここにある―といった強い実感がおとずれることもあります。それらはすでに「共同体の表現」と言ってもよいものでしょう。
そんな活動を続けていると、ふと過去の芸術家の音楽や言葉がいままでと違った風に感じられる時もあります。遠い彼あるいは彼女の言葉に込めた思いや歌った音楽がどうして生まれたのか、 何となく“分かる気がする”瞬間があります。音楽史上の知識としてではなく(大変僭越なのですが)同業者みたいな感覚で、古今東西も関係なく。そのときあなたは先人たちの歩みに何らかの意味で連なっている、と私は思うのです。
音楽を学んでいくうえで、上記三つのような点について少し意識的になっていただくのがよいと思います。いわば、学びの “構え”のようなものです。
そして表現という行為はプロフェッショナルな芸術家だけでなく万人のものですから、音楽教育を志す人やアートマネージメントなど音楽活動を支える分野に関心がある人にも、このような感覚や意識について考えていただくことは大切だと思います。また日本の音楽教育の“深化”によって、大学・短大だけでなく高校やさらに中学・小学校の頃からこんな感覚の兆しがあれば、とてもよいと思います。
この感覚や意識はゆっくりと芽生えていきます。日本の若い音楽家たちがこんな感覚や意識を持つとき、いよいよ日本の音楽文化は“熟成”の域に入ると思われます。ただ個々の音楽家にとっては、技術的な成長と違って目に見えるような成果がすぐ現れるわけではありません。内なる変化はゆっくりと始まり、手応えはあるものの戸惑いも起きるかもしれません。でも迷わないで下さい。
中世の仏教者道元は、「悟りを得たときに、人はいま悟りのうちにあるとは意識しない。それでもそれが悟りという状態なのだ。悟りとはこれなのか、と感じつつ歩んでいけばよい。」と教えています(『正法眼蔵 現成公案』)。これは宗教的、内的風景について言っているのですが、「日本の西洋音楽」が我が国固有の文化になるというプロセスにおいて私たちが経験するであろう感覚は、たぶんこれに近いのではないかと想像しています。それは個人から始まり、徐々に広まり、いずれは社会における文化意識となっていくのではないでしょうか。
 
日本社会はいま変わろうとしているようです。激動の一世紀半の後にきたる社会で人々が強く求めるものは、これまで多くの日本人が求めてきたものとは違った何かになっていくはずです。そのひとつは文化芸術でしょう。
古来日本人は、細やかな心の綾に敏感です。そして勤勉でもあります。有史以来中国、インド、そして西洋から多くを学んできて、独自の文化を生み出す力があります。私たちの学びが確かなものであれば、日本の音楽文化はこれからさらに花開いていくはずです。そして私たちには次代の文化の担い手が必要です。次の70年を担う人たちです。音楽の道は楽ではないかもしれませんが、文化というものは受け継がれなくてはなりません。
あなたが音楽をほんとうに好きなら、音楽大学・音楽学部をめざす人は、ぜひその音楽への志をつらぬいて下さい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

«2017年頭ブログ